2017年03月01日

「ホスピタリティ」をベースに、1.小売り企業2社の社員問題点2つと、小牧市職員の問題点1つ(その1)


 本日のブログタイトルである「ホスピタリティをベースに、1.企業2社の社員の問題点2つと、小牧市職員の問題点1つ」は、極めて重要な事柄であると確信しております。
 長文になりそうですが、読者の皆さまには、是非最後までお読みいただくようお願い申し上げます。

「日本ホスピタリティ推進協会ホームページ」に 「ホスピタリティを通じて、人、組織の活性化及び地域環境の健全なる発展と人類の平和に寄与します」、掲載されていますし、
 以前読んだ、力石寛夫氏の著書「ホスピイタリティ サービビスの原点には次の事例が掲載されていましたので、皆様もご覧ください

ホスピタリティ(Hospitality)」は、一般に、「心からのおもてなし」、「サービスの基本となる心で、お客様を満足させる行為」、「お客様の立場になって考えること」などと解釈されています。
 今回は、小牧市政とも関係すると思われる、この「ホスピタリティ」について記述いたします。


(著書で紹介された手紙の内容) 
(前略)さて、私、先日貴社のある店舗でとても心に残る出来事にあい、思わずペンを執りました。
 9月30日の10時30分ごろ、私は国立がんセンターに入院中の15歳になる次男に、モスバーガーのテリヤキバーガーが食べたいと言われ、少し遠いのですが、WINS(ウインズ)銀座前にある店に買いに行きました。店には女性の店員が1人でした。
 朝のメニューにテリヤキバーガーがないので、私がちゅうちょしていると、彼女は私の欲しいものを聞き、「少々お時間を頂ければ、おつくりします」と言って、すぐに準備を始めました。そのとき初めて、入院中の子供に持っていくことを彼女に話しました。
 このような店にはマニュアルの対応とおざなりの笑顔しかないものと私には、彼女の対応がとても驚きでした。注文の品を受け取り店を出ようとする私に、彼女は、「お大事に」と声をかけてくれました。年がいもなく、少しジーンとしてしまいました。
 そして、さらに驚いたのは、病院に帰り袋を開けてみると、中に小さなメッセージカードが入っており「早く元気になってくださいね」と書いてありました。息子が発病してから1年半余り、つらいことばかりの中で、知人友人以外の方のこんな優しい気持ちに触れたのは初めてです。
 生来彼女の持っている性格も素晴らしいのでしょうが、それを日々の仕事の中で、表に出せるような接客の指導を貴社がされているとしたならば、大変素晴らしいことだと思います。場外馬券売り場の前という比較的荒々し場所で、若い女性が優しい気持を失わずに働いていることに本当に感動しました。
 お礼を言う機会がなかなかありませんので、会社あてにしました。ちなみに、メッセージカードに工藤さんという名前が書かれていました。
(著書の中の手紙文引用終り)
 
 私は、株式アマノの取締役(総務部長・商品部長・常務取締役(営業統括部長・経営推進室長)として、社員に「ホスピタリティの推進」について何度も何度も話をしてきましたが、工藤さん自身もこの本を読んで、「お客様が感動されてる様子を想像し、そのことに働くことの喜びを感じて毎日を過ごされておられるだろうと・・・」思わず泣いてしまいました。

 そして、その後就職した株式会社ビー・アンド・ディでも、光ケ小学校(玉置校長の頃)地域の学校コーディネータ森澤さんから連絡があり、生徒に対して「生き方ナビゲーション」という講義をパワーポイント資料を製作してお話しでも、「ホスピタリティ」関する資料を取り込んで生徒さん達に話しました。

★ホスピタリティのこころは、どのようにして身に着くのでしょうか?
 自分のことを書くのは少し、気が引けますが、「ホスピタリティの心」は訓練して身に着くものでなく、大阪にリッツカールトンホテルがオープンした当時、営業部長から、「ホスピタリティの心は、入社後の訓練では中々身に着けることはできい、そのため、リッツカールトンホテルでは世界レベルで、生まれもってホスピタリティの心を有しているかどうかを把握する適性検査を開発した」、「従ってリッツカールトンホテルグループでは、入社を希望する学生に学術検査や面接検査をする前に、ホスピタリティの心を有しているかどうかの適性検査をし、パスした人について、学術検査や面接検査を行い選考いている」とのお話を聞きました。
 
 私は、生まれ持ったホスピタリティの心が少しでも有しているのでいょうか・・・」
 私は、父親が薬剤師であったので、名古屋の中心部で小さな薬局を自営していました。母親は5人の子どもを大学まで進学させるために、ほぼ年中無休で父親と働き、私たち5人の子どもに目一杯の愛情を注ぎ込んで育ててくれました。
 そして、一度も「親の後を継ぐために薬剤師を目指せ」という話も1度も致しませんでいた。そして、「物事の善悪・正義感については、しっかり話してくれました」

 兄が薬学部へ行きませんでうたので、「心の中では、両親は私に薬学部へ行ってほしいのかな・・・」と勝手に想像していました。
 私は小さいころから、「工学部へ行って建築士になりたい。医学兵の大学へ行って医師・歯科医師になりたいと思っていましたので」、東海高校3年生の時には、進学路として「名古屋市立大学薬学部(1期校と同じ受験日)、岐阜県立薬科大学(今校名が変わったかも知れません)、三重県立医大(現在は国立三重大学です)、「富山大学薬学部(2期校)」の4校に受験手続をいたしました。

 名古屋市立大学薬学部と岐阜薬科大学の2校から合格通知が届いたのが、三重県立医大受験前でしたが、「過去問をみたら、私の英語力では、現役合格は無理だろう・・・」と判断し、名古屋市立大学薬学部に進学することにしました。
 当時の入学金は3万円、月謝は1,000円でしたので、経済的には、両親に孝行したと思います。しかも、4年間、家庭教師で月5,000程稼ぎましたし、通学も自転車で致しました。

 何年も経ってから気付いたのですが、「薬剤師免許を取得しておいて、転職など、そのごの人生にものすごく役立ったと」気付きました。

 そして、私のホスピタリティに大きく影響したのは武田薬品鰍ノおける開業医の先生・奥様・家族でした。
 当時の武田薬品は、業界や医師から「天下の武田!」と呼ばれ、社員の給与も、外勤手当も、福利交際施設も優れ、接待交際費も十分にありました。

 ある日、江東区にある武田の医薬品を良く使用していたY内科を訪問した時、先生から「家内が堀さんに会いたいと言っていたよ」と伝えられましたので、2階のリビングに行きました。
 奥様からその時に言われたのは「堀さんは、他の医院の噂話を全くしないから、私のうちの話を他の医院ではしていないと思うから安心して付き合える」とのことでいた。
 別に意識して、他院の噂話をしなかったのではなく、もともとこれが私の生まれつきの性格・考えでです。
 プロパーやセールスによっては、他院の噂話や内情をペラペラ話する人も結構大勢いますが・・・。

 このようなこともあって、患者さんの多いY医院はますま東京都で武田薬品にとって超A級の医院になりました。
 そして週末の家族旅行に私も連れて行っていただき、箱根の富士屋ホテルに私の部屋を手配いただ何度もとまり、軽井沢の美味しい店で食事を一緒に食べました。
 時には,芦ノ湖と富士山がベットから望める「富士ビューホテル」にも宿泊させていただきました。(勿論、接待交際費は1円も使っていないY内科の家族旅行です)

 武田では、プロパーには「タクシー券の束と、ハイヤー券の束が渡されていましたので、荒川区の生活協同組合系の大きな診療所があり、薬局長の子どもさんが難病で定期的に受診されている話を伺いまいたので、タクシー券の束を渡し、「これを子供さんの通院に使ってください」と言ってお渡ししまいた。
 まあ、診療所の実績がその後どうなったか書くまでもありませんね。

 その他、ボーナスを貰うと、接待交際費ではなく私費で「ボーナスが出ましたので、ケーキを買いまいた。食べてください」とか、名古屋の実家に帰ると私費で買い、「名古屋の貝新のしぐれです」といって、普段可愛がっていただいている医師に配り食べてもらいまいた。

 神田に物凄く患者さんの多いS眼科があり担当していました。ある年末に取引先のディラーが、風景画の6枚綴りのカレンダーを各医師や奥様に配りました。
 神田にあるS眼科医院は大先生と若先生の2人で診察されていましたが、患者数が多く、武田薬品にとっても、アリナミンを相当量使用いただけるAのお得意様でした。
 カレンダーを配布したディラーのセールスから、「大先生が、6枚つづりのカレンダーのうち、1枚の風景画にたいそう興味を持たれている」との連絡がありました。

 その原画を探すため、カレンダーの印刷業者を頼りに必死に探したら見つけることができました。原画を交際費で購入し、突然訪問し、「先生、どうぞ・・・」とお持ちしたら、ビックリして大喜びされました。
 数年後、大先生はなくなられましたが、若先生から「湘南の自宅の葬儀には、取引プロパーの中で、堀さんだけ参列して下さい」との連絡があいました。

 当時、スヌピーが日本に入りましたが、スヌーピーの縫いぐるみは東京中を探しても入手できない状態でした。
 そうした中、Y内科の日本女子大の幼稚園に通園する下の女の子が、連日「スヌーピー、スヌーピー」と言っていたそうです。
 ところが、ところが、そのような時に、担当する上野松坂屋の診療所へ行ったとき、1階売場の柱の上の方に1ケ所だけスヌーピーの縫いぐるみがディスプレイしてありました。
 飛びあがるほど嬉しくて、「あのスヌーピー売ってください」と頼み込みました。私の必死の訴えが通じたのか、「少しホコリが・・・」と言われたかもしれませんが、幸運にも購入することが出来ました。

 直ぐにY医院のリビングをへ行き、下の女の子の前に立ち、後ろに隠したスヌーピーを、「はい、これと言って目の前に差し出しまいた」女の子は、飛び上がったり泣いて喜んでいまいた。
 それ以来、タクシーやハイヤーで家族で出かける時には、助手席に座った私の膝の上は、女の子2人が「私が座るの」、「いや、私が座るところよ」との取り合いが続きました。
 
★名古屋商工会議所主催の「ビジネストレンド研究会」
 15年余りで、武田を退社し、天野製薬グループの潟Aマノに入社しまいたが、オーナーに可愛がっていただき、トントンと、店長・副部長・取締役・常務になりまいた。そうした中で、名古屋商工会議所が企画する「ビジネストレンド研究会」に所属しました。
 (梶jアマノはその中でも小さい方の会社で、名古屋を本拠とする大手企業35社位の社員の方が所属し、サントリー白州工場、東京のすかいらーく本部、開空前の関西国際空港の滑走を路歩いたり、、開園直後のユニバーサルスタジオ視察したり、オープン直後の金山のボストン美術館、広島のマツダ工場等の見学会が行われ、見学後は食事をしながらの視察先をテーマに懇親会がありまいた。
 例えばボストン美術館については、メンバーの中の海外勤務をされた方が複数おられ、本場のボストン美術館お金山のボストン美術館比を較して異論を述べられていまいた。(当時の私には理解できない点もありましたが・・・)

 私は、「アマノの店が、お客様に感謝されるだくでなく、お客様に感動され、お客様の感動されている様子に接客した社員が喜びを感じるために、毎日毎日、「潟Aマノの店が、全国でも接客評判店になる夢を抱き、いろいろ考え、1つ1つのサービスを社員に徹底するために、和製英語の名前をつけたりもしました。

 潟Aマノの各店舗は、名古屋駅の地下街や、栄の地下街で、比較的多くのお客様に来店いただきました。
 名古屋駅のサンロード地下街入口にある店は、朝8時のオープンから9時までに1時間で500人ぐらいのお客様が出勤前にリポビタン等のドリクンク剤を飲まれる方で、オープンと同時に一杯になりなりました。

 ドリンクコーンーを担当する社員は、1人1人のお客様が毎日飲まれるドリンク剤の銘柄を記憶しておき、地下鉄等を降りてドリンクコーナに近づいてこられるお客さまを確認すると、ドリンク剤のキャップを開け「おはようございます」と挨拶して、キャップを開けドリンク剤を差し出し、飲み終えてコーナーを離れる時には、元気な声で「行ってらっしゃいませ」とお見送りしました。

 当時は、携帯やスマホのない時代でしたし、トイカなどなどもない時代でしたので、「両替お断り」のPOPが掲示されている店が多い中で、サンロード店では、両替だけに来られる方に、「快く笑顔で、両替に応じるようにいたしました。(スマイルエクスチェンジサービス)

 こうしたことを、全店で意識を持って実行していましたので、ある時にはビジネストレンド研究会の商工会議所の方から、「研究会の中でお客様満足についてミニ講演会の講師をして欲しい」との依頼がありました。メンバーの中には、デパートの社員の方も複数おられましたので、何かお尻がむずむずするような面持ちで話をさせていただきまいた。

 前述した、大阪のリッツカールトンホテルも、オープン直後にビジネス研究会のメンバーで訪問し、営業部長の話を聞いた時のものですが、帰社後、社長に話し、何と毎年行っている社内親睦旅行の宿泊ホテルとして、リッツカルトンホテルにいたし、「リッツカールトンホテル宿泊体験をいたしました。(2〜3班に分けて・・・)

 私は、常務取締り役であった58歳の時に、若い社長と心のすれ違いがあり、潟Aマノ退社しましたので、その後の様子はわかりませんが、退社後に入社した潟rー・アンド・ディードラッグストアが、50数店舗、売り上げ230億円を上回っていますが、潟Aマノは退社当時の売上を大きく下回り、優秀な人材も退社したそうです・・・。B&Dの正木社長からは、「俺も薬剤師だが、堀さんは俺の気付かないことをいろいろ言ってくれる。本部の主な会議に参加し、どんどん厳しい意見を言って欲しい・・・」と指示されました。人生の最後に、このような優れたトップ(リーダ)の下で働けたことは、幸せです。
 きっと、天国で仲良く過ごしている父親も母親も喜んで暮れていることと思っています。

 やはり前置きが長くなりすぎましたので、本日は「「ホスピタリティをベースに、1.小売り企業2社の社員問題点2つと、小牧市職員の問題点1つ」のうち、(その1)として、最近経験した、マックスバリュー小牧駅西店の問題点を記述し、明日は、小牧市職員の問題点を中心に報告いたします。

2月21日(火)のマックスバリュー小牧駅西店・春日井坂下店・扶桑店・清州春日店4店舗の新聞折り込みチラシ

 私は、毎日のように夕食をつくりますので(ステロイドを火・水と2日間飲むようになってから、体力的にも精神的にも作らない日が増えていますが・・・」
 チラシ掲載品円の価格については、一般の主婦の方より詳しいとおもいますが、今回のチラシの目玉商品は、「創味のつゆ」598円(税込み645円です)

 「創味のつゆ」は、大量に使いませんが、麺類(そば・うどん・ひゃむぎ・そうめん)の冷たい時を食べる時に水で10倍に薄めれば、超簡単に付け汁が作れますんで、急いでいるときに便利です。勿論、他の料理のだし汁にも使いますので、1本程度は買い置きがあります。
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 確か、2月17に「ピーチバス」昼頃ラピオビルへ行きましたんで、マックスバリュウへ「創味」を主目的にいきました。
 主通路の肉のケース前の2ケ所のエンドには、大量の「創味」が陳列してありました。「えっ、価格は通常の798円(税込み861円だ・・・」

 レジの目にいた赤いジャンパーを着た男性スタッフの「店長ですか・・・」と聞いたら「違います」との返事。
 そこで、「お1人様2本限り598円(税込み645円)の「創味は、お昼の時間にもう売れ切れたのですか」と聞きと、真顔で「はい、そうです・・・との返事」。
 呆れて、「何故、あのように大量にエンド2ケ所に陳列し、「売れ切れましたの標示もしないで陳列しているんですか」と聞くと、「ああ、そうでしたね・・・」との返事。

 「私が良く行く、ナフコ桃花台店(桃花台の少し外にある食品スーパーです)という小さな食品スーパーでは、「お1人様〇〇限りの商品が売れきれた時には(夕方以降の場合が多いんですが)、必ず「申し訳ございません。チラシ商材は売れきれました」との標示がしてありますよ」と伝えまた。ホスピタリティどころか、「顧客不満を招く行為」ですね。
 企業全体の問題か、店の問題か、個人の問題か分かりませんが、胸糞の悪い1日でした。
posted by お好みシェフ at 20:47| Comment(0) | 地方自治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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