2017年02月28日

運転免許証の返納と、こまき巡回バス・ピーチばす・タクシー

 私が運転免許証を取得したのは、名古屋市立大学4年の夏休み(1965年・昭和40年)のことです。
 武田薬品工業鰍ノ就職が決まり、医家向け学術情報員(当時、業界では「プロパー」と呼ばれたころです。現在は「MR」と呼ばれているそうですが・・・)

 内定が決まると、会社から連絡があり「運転免許証をとってください。費用は会社で払います。」とのことでありましたので、現在も存在する名古屋市北区の庄内自動車学校に通って免許を取りました。)
 家に、車はありませんでいたので、翌昭和41年に武田に入社し3ケ近くの本社研修後に配属された東京営業所で、東京のど真ん中「中央区の開業医さん」を担当するために、日産のブルーバードを与えられた時のことでした。
 それまで、1度もハンドルを握ったことのない私が、日本橋・銀座・浜松町・築地などの開業医を訪問し、目白の独身寮まで車で帰るのですから、それはそれは、ヒア汗が出るような毎日でした。
 東京駅前の八重洲駐車場などに車を入れっぱなしにして、歩いて担当の開業医を回ったりしましたし、「良き時代で」路上駐車した近くの交番に、「直ぐ帰り明日から」と、車に積んでいたいたアリナミンのサンプルを渡したり・・・。

 そのような状況の中でも、事故を起こすことなく、2年目には、台東区や江東区を担当することになり、親しくなった開業医の奥さんから、「たまには若いこと、お昼ご飯を食べに行こうかな・・・」と言われ、雷門近くの天丼の美味しい「尾張屋」でごちそうになったもしまいた。
※会社の車にお得意様を載せることは禁止されていましたが・・・、「それでは仕事にならないよ…」との独断で、気を付けて気を付けて運転していまいた。

 また、江東区の開業医の奥様からは、「軽井沢の別荘へ行くから内の車運転してくれる・・・」と、言われ免許証を持っておられないご主人(医師)の代わり何度も何度も夏の軽井沢へ行きました。
 当時は、まだ売バスがない時で、軽井沢峠を通って東京から10時間ほど要して行ったとおもいます。

 東京営業所で7年間勤務した後、新潟市にある独身寮(大手企業の社宅もこのあたりに集中しており、日本海の近くの所です。

 月曜日に新潟出張所に出社し、まだ、高速道路はありませでしたが、長岡市の老舗旅館「福寿荘」に泊まり、長岡中央病院(厚生連)、柏崎市の刈羽郡病院(厚生連)、豪雪地帯の小出県立病院、六日町病、など越後湯沢までの病医院を担当しまいた。
 このころには、道路の雪の吹き溜まりに突っ込んで動けなくなったり、峠で凍結しスリップして動けなくなったので、トランクからチェンを出そうとしたら、鍵穴が凍結しており、必死の想いでライターで鍵穴を温めたりしたこともありました。
※当時の冬の車の標準装備は、「スノースパイクタイタにチェンを付けて走る」ということでした。

 新潟出張所に勤務してた31歳の時、東京営業所で同じフロアで働いていた1年後輩(高卒・26歳)の家内と、明治記念館で結婚式を挙げましたので、新潟での新婚生活は、「月曜日に家を出ると金曜日に家に帰る」という生活でした。
 12月1日に結婚し、翌年9月にはハワイ産の長女が生まれました。社宅は、日本海が一望でき佐渡や淡島が良く見えるマンションを会社が探してくれました。

 東京営業所に勤務していた昭和44年〜46年の3年間、近藤さんという素晴らしいリーダーシップのある方で下で働きましたが、毎日、毎日が楽しくてしょうがなく、「俺たちは全国の武田のプロパーの中で一番仕事をしている・・・」と自負していました。

 その近藤さんが、昭和46年に新潟出張所長として異動されました(当時の武田では、新潟出張所長出世コースと言われていました)
 近藤さんが、会議等で東京へ来られた時にっは、「私も新潟で近藤さんの下で働きたい・・・」と、何度も何度も伝えました。

 念願かなって、新潟に転勤することができ、結婚式の仲人もしていただきましたし、桃花台の家にご夫婦で2〜3回お泊りになったことことがあり、高山・白川郷・平湯・馬籠・妻籠・犬山城・明治村もご案内いたしましたし、現在も数年に一度東京で「近藤さんを囲む会」が開催されますので、お会いすることができます。

 3年間の新潟勤務の後、宇都宮出張所に転勤いなしましたが、先日のブログに娘の3歳ごろまでの写真をアップいたしましたが、自家用車を利用して、それはそれは楽しい日々をすごしました。

 今年6月の免許証更新にあたり、昨年9月車検の際にも随分悩みましたが、「以前から乗りたかったワーゲンのニュービートルも充分楽しんだ・・・、免許証を返上しよう・・・」と決断いたしました。
 本日(2月28日)付の返納ですが、車は、2月16日にフォルクスワーゲンの方に廃車手続きのため引き取っていただきましたので、勿論、それ以降は車の運転はしておりません。

 しかし、50年間の感覚が抜けず、昨日も家内に、「これ車に入れといて」と言ったら、「お父さん、何を言っているの車はみうないのよ」と言われて、「ああ、そうだった・・・」と反省する始末です。

 2月20日と27日が、がんセンター中央病院の受診日でしたので、家内は「お父さん、タクシーで行こうか」と言いましたが、」自宅からがんセンターまでは約7千5百円、往復で1万五千円か・・・」、「年間、血液相棒療法科U血液内科)と30回ほど通院することになるので、50万円近くなるか・・・」と考えると、やっぱり我が家には無理で、自宅➡春日井駅➡大曽根駅へ行、大曾根からタクシーでがんセンターまで行きことにしました。(1,800円〜1,900円程で、タクシーの運転手さんによれば、「大損からタクシーでがんセンタへ行かれる人が多いですよ」とのことでした。

 車がないと、舟橋植木さんが経営する「賀名生」へも、アピタ小牧店を南の方へ行った「KAN」にも、桃花台から春日井駅方面へ行った「マリオット」や「スタバ」にも行けなくなりましが、これからは、「こまき巡回バス」「ピーチバス」「桃花台バス」、さらに、春日市の「コミュニティバス」を研究して道と思っています。
 いろいろ選択肢のある中で、「一番いいのは、中央道の高速バスを利用するのが1番かな、30分程で栄や名古屋駅に行けるし」と思うようになりました。
 そういえば、今日は犬山市役所に用があり、家から徒歩2分にあるピーチバスで、名鉄小牧原駅まで行き、犬山駅まで行きました。

 「大好きで、10年近く住民登録(年間パスポート会員)している明治村に行けるカナ・・・」と心配していましたが、中央道の桃花台バス停から行くことが出来ることを確認しましたので、「ホット」しています。
 また、お弁当を作ってブラブ園内を歩いたり、疲れているときは園内バスで移動したいと思っています。
タグ:小牧市
posted by お好みシェフ at 17:49| Comment(0) | 管理者の想い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月27日

山下史守朗教祖様のありがたい説法とひれ伏す信者たち

 まだ完全ではありませんが、「こまき無答塾ブログ」が何ととか回復いたしました。

★本日(2月27日)、平成29年小牧市市議会定例会(3月議会)が開催し、市長の施政方針演説おこなわれました。

 施政方針演説と言っても、何とか教団の太めの教師さまの、有難い説法を聞くために、9月議会の開会日と全く同様に、教団世話役を長年務めている横田氏(女性)に引率された信者たちが、
72の傍聴席を埋め尽くし、ありがたい山下史守朗教祖様の説法に傍聴席から拍手し(傍聴規則違反)、説法が終ったら(施政方針演説が終わったら)、信者たちは一斉に引き上げたのです。

 皆さん、これは夢の世界でありません。日本国・愛知県小牧市の3月議会初日の光景です。小牧市民として恥ずかしい限りですね・・・。
 「山下市守朗の大馬鹿者が・・・」

★信者軍団に応援して欲しければ「誓約書」を出せ
 山下史守朗教祖が小牧市長に当選したのが平成23年2月6日に施行された市長選挙に初当選し、市長としての活動を開始したのが平成23年2月21日。 承認後初めての執行された平成23年10月の市議改選に際し、「信者軍団の応援(票が欲しければ)「下記の推薦依頼署名捺印して提出しろ」誓約書を出させたのです。

 皆さん、これは夢の世界でありません。日本国・愛知県小牧市で起きたことなのです。小牧市民として恥ずかしい限りですね・・・。
 「山下市守朗の大馬鹿者が・・・」
 
posted by お好みシェフ at 20:25| Comment(0) | 地方自治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

小牧市報公開審査会・個人情報保護審査会とその結論について

 ブログ投稿ページの不調で、皆様に多大なご明確をかけておりましが、何とか本日の投稿することができるとことまで回復したかも知れません。
 本日は、以前から「肝」の部分だと判断していた部分を一括して投稿いたしますので、長文(うまく記述でき、投稿できた場合ですが・・・)

★小牧市報公開審査会・個人情報保護審会とは

現時点における「小牧市報公開審査会・個人情報保護審査会委員名」
 〇会長 萩原 聡央(名古屋経済大学教授)
 〇大宮隆志(一宮法律事務所)
 〇池田洋子(名古屋造形大学教授)
 〇鈴木 弘之(元小牧職員)
 〇丸山真由美(市民講座講師)
 10月18日(金)に審査会が開催され、出席し審査会委員質問したり、審査会委員の意見を聞きました。
 但し、鈴木委員は、笑顔で「良く調べましたね」と発言され、丸山委員は、「こまき無答塾ブログを読んでいます」と発言されました。
 審査会の結論に結びつく重要な質問をされたのは大宮弁護士で「堀さんが問題にしているのは開示された書面のうち1枚目は速水社長が作成したが、2枚目は山下市長によるねつ造(作文)ということですか」と田恒られました。
 私が、その件について審査会委員の前で説明しようとしたら、「私の聞いていることだけに答えてください」と言われ、再び同じ質問をされましたので、私も再び同じように答えました。

 この時、私は「何だ、この弁護士は、私の質問に全く答えないで、市民に対して上から目線の言葉で2回質問し・・・、と腹が立ちました」
 実は、帰宅した後に思い出したのですが、稲沢法律事務所の大宮弁護士からは、1年半余り前に自宅に配達証明付の封書を送られていたのでした。「あの時の、あの弁護士か・・・」と、怒りが増幅いたしました。(後述)

◆審査会開催前の事前打ち合わせ
 10月18日(金)に開催された審査会に出積するなえに、審査会事務局の総務課文書法規係職員の方々から、「堀さんの審査請求は異例だから(開示決定したが、本来は行政文書存在せずで不開示)、審査会から「審査会の審議対象外だ・・・」ということで門前払いをされるこましれませんね」と言われ、「私もそれを望んでおます」と答えました。
 
 しかし、11月8日に届いた審査結果の書面(7ページ)の第1.には「小牧市長が、「ラピオビルの3階閉鎖店テナントの対応について「及び「ラピオビルの経営方針について」のうち、印影を除いた部分を開示した決定は、妥当である。

 続いて、2には「審査請求人は、本件審査において、本件文書のうち枚目の「ラピオビルの経営方針について」は、第の2の理由のとおり「小牧都市開発株式会社がさくせいしたものではなく、実施機関が柵瀬したものである」と主張している。
 しかしながら、当審査会は、条例第16条の規定に基づく実施機関からの諮問に応じ、実指揮官が行う開示決定の妥当性について審査する機関であり、審査請求人の該当主張の是非について当審議会の判断するところでない。そもそも裁判所(最高裁判所平成18年4月20日判決)、横浜地方裁判所平成21年6月29日判決に照らせば、条例において、行政文書の記載内容の真実を実施機関が審査する定めたきていはない、・・・」

 ご覧いただいた通り、第1の結論と、大宮弁護士による第2の結論は完全に矛盾しています。何故、審議会は「審議会で審議する必要はない!」と、10月8日の審議会開催前に、私に「門前払い」であり、「審議会を開催しない」と連絡しなかったのか・・・」全く理解できない。

 私が、強く望んだことは、「生来物事の白黒をハッキリさせる立場であるが、ここまで来たからには、山下市長にも、速水社長にも気付付けない、曖昧な妥協策を低下することが何よりも大切だ。それが、しsゅクしている小牧市職員のt目であり、それが小牧市民の近未来の幸せに結びつく・・・」との強い想いがあったからであります。
 双方に気付付けないない解決策は、「最高裁の繁栄を示して、門前払いをⓈることしかありませ」
 残念ながら、不勉強な大宮弁護士は、審議会開催前に最高裁等の判例を把握していませんでしたので、審議会を開催してしまったのでs。

 さらに、第6付言で「審査請求人が行政文書の審議に疑念を持った理由の1つとして、文書番号が付されていないという行政文章の処理に重大な過誤があった。
 今後、実施機関はにおいては、小牧市文書取扱規定に則り、適正な文書処理に努められたい」と、荻原会長による文章が書いてあるが、何を間抜けたことを書いているのか・・・。
 私とは、全く関係ないことであり、何らかの機会に山下市長や小牧市職員に言うべきことではないのか・・・。
 
 私は、平成28年11月9日から6ケ月以内に山下市長を相手に裁判をする権利がある。勿論、争点は、「審議会開催の是非」ただ1つである。
 最高裁判例等に反し、審議会を開催いして始末たので、山下市長の勝ち目ゼロである。
posted by お好みシェフ at 10:36| Comment(0) | 地方自治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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